MENU

    「ファム・ファタル」とは何か?それは古今東西、男たちを悩ませる女性の魅力のことである!

    こんにちは!皿(sara)です☺️

    今回は「ファム・ファタル」という言葉について、絵画との関係性を交えながらお伝えしていきます。

    流行りの音楽もそれほど聴かない私ですが、ふとテレビなどでJ -POPが流れたりすると、この「ファム・ファタル」という単語が聞こえてくることがあります。

    具体的に最近はどんなJ-POPの歌詞に使われているのかなーと調べたところ、社会現象にもなったTVアニメ『推しの子』第2期OP主題歌が『ファタール』だそうで。ただもう2024年7月の話であり、もう1年も前のことなんですね。知りませんでした😓

    ただこのように、最近のメジャーな楽曲においても使用される言葉であるということです。

    古今東西、人々を魅了し続ける「ファム・ファタル」とは一体何なのか。それでは一緒に学んでいきましょう!

    目次

    「ファム・ファタル」の意味

    「ファム・ファタル」(femme fatale: フランス語)とは、日本語訳すると「運命の女性」という意味になります。英語の「fatal woman(フェイタル・ウーマン)」の方がわかりやすい方もいるでしょうか。

    ただこの「運命の」とは、「幸運にも巡り会えた最高のパートナー」という健全な意味ではありません。むしろ逆です。

    出会ってしまったばっかりに、順調だった人生が狂わされるほど」といった意味合いが強いです。実際、英語の「fatal」の日本語訳は「致命的な、命取りの」です。

    先ほど述べたJ-POPの例にしてもそうですが、「運命の女性〜」と歌うよりも「ファム・ファタル」と表現した方が、ミステリアスで、頭では危険だと分かっていても魅了されてしまうこと不可避というニュアンスを一言に内包することができます。

    作品等は後述しますが、この「ファム・ファタル」という題材が流行したのは19世紀後半です。関われば待つのは破滅という退廃的な雰囲気が好まれたのは、約150年前に興った一過性の流行に留まらず、時を超え海を越え、現代日本においても我々を魅了し続けているテーマなのです。

    現代における「ファム・ファタル」とは

    ChatGPTに「現代のファム・ファタル」はどのような人物がいますかと尋ねたところ、いくつかの候補を上げてもらいましたが(ただ映画もゲームもからっきしなので全然知らないキャラクターばかりでした😓)、その内、ルパン三世の「峰不二子」が上がっており、まさに!といった感じでした。

    「ファム・ファタル」という題材が興った過去においては、「男性を破滅に導く退廃の象徴」として描かれたそうです。しかし時が経ち、その考えは進化してきました。その大きな転換とは、「女性の主体性」です。

    例えば女性の参政権は、アメリカでは1920年、日本とフランスは同じ1945年に初めて認められたことだったそうです。このことからも、19世紀後半ではまだまだ男性主観の風潮が根強かったでしょう。

    当時の人が「ファム・ファタル」として描かれた絵画を見ても、男性側が「ハニートラップには気をつけよう」という自戒であったり、「それでも可愛い女性に言い寄られたら敵わないな」という自嘲であったりという視点からでしか作品を見られなかったかもしれません。

    しかし時代が進み、女性の主体性という価値観が浸透したことで、「ファム・ファタル」として描かれた女性を主人公として認識するという見方が生まれてきました。彼女たちには彼女たちなりの信念、覚悟、強さ、生き方がある。男をたぶらかすだけの存在ではなく、自分の意思で、知性を持って、苦難を耐える精神力を持って、自らの運命と戦う。そんな見方ができるようになりました。

    もしかすると、「ファム・ファタル」を描いた作者たちはそんな女性の主体性を見ていたのかもしれませんし、見ていなかったのかもしれません。今では本人に聞くことはできませんし、本当のところは本人の心の内にしかわかりません。

    しかし時代の変化により、過去よりはずっと、女性の権利、社会参画といったものが前進しました。過去においては男の主観でしか捉えられなかった絵画その他創造物に「ファム・ファタル」として描かれた彼女たちも、現代を生きる我々が見つめてみれば、彼女たちを主体とした見方ができるように思われます。

    「ファム・ファタル」の作品例

    それでは、絵画史における「ファム・ファタル」について紹介していきます。

    絵画史において「ファム・ファタル」という題材が流行したのは19世紀の後半。フランス文学において登場したのが始まりとされています。

    ロセッティ『プロセルピナ』(1874年)

    引用:Proserpine (Rossetti) – Wikipedia

    ロセッティは、絵画界における「ファム・ファタル」の先駆けとなった画家の1人です。

    プロセルピナとは、ギリシャ・ローマ神話の登場人物です。彼女は、冥府(=死後の世界)の王にさらわれ、そこでザクロを食べてしまったことにより心ならずもその妃となった冥府の女王です。

    プロセルピナのモデルとなった女性は、ロセッティの不倫相手であるジェインという女性。ジェインも結婚していたので、いわゆるダブル不倫の状態でした。

    プロセルピナはザクロを食べたことにより捕らわれの身となりましたが、本作ではザクロを結婚のメタファーとして用いており、つまり「結婚により捕らわれている」ことを表現しています。

    自らの不倫という背徳と神話とを重ねるのはなんともエゴな気がしますが。。
    そこに”手に入らないものへの憧れ”や”高まり”を見出していたのだと思われます。

    日本にも古来より「一盗二婢三妾四妓五妻(いっとうにひさんしょうしぎごさい)」という言葉があります。意味は、男が性行為において興奮する相手の順番を表しており、「一番興奮するのは人妻など他人の女性、二番目は身分の異なる下女や使用人、三番は愛人、四番は娼婦や遊女、五番は正妻」というものです。

    相手のいる女性にこの上ない魅力を感じるというのは、古今東西不変の価値観なのかもしれませんね。嫌な話ですが。

    モロー『出現』(1876年)

    引用:ギュスターヴ・モロー – Wikipedia

    煌びやかな装飾がされた室内、宙に浮く生首と、それを迎える女性という構図。新約聖書の有名な一場面がドラマティックに描かれています。

    この場面について簡単に説明すると、まず本作の主役たる女性は「サロメ」という人物で、浮いている生首の男性は、キリストに洗礼を施した「洗礼者ヨハネ」という人物です。
    サロメは王様の前で見事な舞を披露し、王から「褒美に何か与えてやる」と言われました。そこで、サロメの実の母親はサロメに対し、「ヨハネの首を要求しなさい」と告げ、サロメは母親がそそのかしたとおりヨハネの首を望みます。実はこの時ヨハネは、王族と不貞をしたサロメの母親を非難したことにより幽閉されていた身でありました。
    聖書のキーマンである「洗礼者ヨハネ」の斬首場面ということもあり、凄惨ながらも重要な場面として、様々な画家によって描かれているシーンです。

    『出現』以前まで、サロメは母親の指示に従っただけの、言わば操り人形的な存在として認識され、描写されてきました。しかし本作ではヨハネの首を能動的に迎え入れる主体性が表現され、以降、サロメは「ファム・ファタル」の性格を持つ女性として認知されることとなりました。

    (↓『出現』以前の同じ場面が描かれた絵画)

    ルーカス・クラナハ『サロメ』(1530年頃)

    引用:洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ (クラナッハ) – Wikipedia

    当然と言えば当然ですが、切られた生首が宙に浮くはずがありません。冷静にこちらを見つめるサロメが持ったお盆に乗せられているのは、ヨハネのむごたらしい生首です。このことから、お盆はサロメのアトリビュートとして機能していますアトリビュートについてはこちらの記事で詳しく紹介しています!

    『出現』とは真反対に、現実的でシンプルな描かれ方がされていますね!

    ゴッツォリ『サロメの舞と洗礼者ヨハネの斬首』(1461 or 1462年)

    引用:The Feast of Herod and the Beheading of Saint John the Baptist – National Gallery of Art

    こちらの作品では、異なる場面が1枚の絵画の中に収められています。

    先ず、中央で踊る女性がサロメであり、右に座っている王がそれを見ている場面です。その奥、中央の女性と同じ女性が立膝の姿で描かれていますが、これもサロメです。母親の言いつけどおりヨハネの首を手にいれ、それを母親に見せている場面です。そして、画面左側で今まさに斬首されようとしている男性がヨハネです。

    異なる3場面を1枚の絵の中に収めている構図であり、新約聖書の一場面が凝縮されています。

    『出現』と比較すると、『サロメの舞と洗礼者ヨハネの斬首』は事実を淡々と描写していますから、『出現』がいかに聖書の物語を劇的に表現しているかがわかりますね!

    おわりに〜こんな人におすすめ〜

    「ファム・ファタル」を描いた絵画はこんな人におすすめ!
    ● 女性の美貌、ミステリアスさ、近づくことの危うさなどに魅力を感じる方
    ● 男女問わず、人が自らの力で運命に挑む勇敢な姿が好きな方
    ● 女性の権利、社会参画はまだまだ不十分と感じ、現体制を改善すべきという反骨心を持つ方

    絵画は知るほどにその作品の魅力は増しますが、しかし絵画を最初に見た瞬間に起きた「あ、この絵良いな」という言語化できない”好き”も同じくらい大事な気持ちだと思うので、「ただ好き」という選び方ももちろん大賛成です☺️

    以上で「ファム・ファタル」についての紹介を終わります。いかがでしたでしょうか。

    男性側と女性側で、「ファム・ファタル」が題材とされた絵画を見た際の感想が異なりそうなところがまた面白いですよね。
    それに、昨今はなんといってもジェンダーレスの時代。「ファム・ファタル」を見て、自分は何を思うか。兄弟、家族、友人はどんなことを考えるかを話し合ってみるというのも、絵画鑑賞の楽しみ方かもしれませんね!

    それでは、生まれてこの方女性に対して及び腰でしかありませんので、いつかは「運命の女性」に人生を狂わされることを心のどこかで期待しつつ。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!

    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!
    目次