今年の夏も暑いですね☀️🥵。皆さんにおかれましてもきちんと水分補給、休息をし、体調を崩されないよう願うばかりです。
この文章を書いている今も検索したところ、38℃を超える地域が全国的にあるそうです。無理な体の動かし方をせず、また、室内だからといって油断することなく、この猛暑を無事に乗り切りましょう!
さて、そんなことを言っている私ですが、先日どうしても夏の風物詩である「ひまわり」🌻を見に行きたく、少々遠出してきました。当方所有している移動手段はバイクのみのため、バイクで片道小一時間のツーリングをしてきましたが、当日もカンカン照りで、帰ってきた時には両腕と首元が真っ赤になってしまい、シャワーでも痛むほどに焼けてしまいました。
過去私の友人で、日焼け痕があまりにも痛み、病院に行ったところ「やけど」と診断されたことがありますので、皆さんも日焼けには十分注意してくださいね。
ちなみに、ひまわりがもっとも開花している時間帯は午前中らしいので、もしひまわり目当てでお出かけされる方はお早いうちに家を出ることをお勧めします(私はそれを知らなかったせいで一度外出をキャンセルしております😓)。
《ひまわり》とひまわりを比べてみた
では、今回の記事ですが、「ひまわり」と絵画といえば、有名な作品がございますね。そう、アートを全くご存知ない方でも一度は聞いたことがあるでしょう、あの巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホ作《ひまわり》です↓
(当ブログでは過去、【理由はたった2つ!なぜゴッホの「ひまわり」は有名か?】という記事も作成しておりますので、よろしければぜひこちらもご覧ください)
引用:ひまわり(絵画) – Wikipedia
《ひまわり》は実は連作であり、全部で7作品描き上げられています。当然のことですが、いずれの作品も見れば「ひまわりが描かれているな」とわかるものです。
で、植えられている実物のひまわりを見に行き、「夏だなぁ」「綺麗だなぁ」と感想が湧いたと同時、ゴッホの《ひまわり》を思い出しながら「似てないな」とも思ったのです。
写真も撮ってきましたので、ぜひ比較してみてください。

↓はネットで拾ってきた画像です



(いずれもpixabayより引用)
いかがでしょうか。《ひまわり》は確かにひまわりを描いてはいますが、実物と比較すると「誇張して描かれている」ように思えませんでしょうか。
花や茎の形状や色合い、雰囲気、空気感…
ここに、ゴッホがここまで後世に名を残すことになった理由があるのですね。
実物と写真を見比べた時の「なんか違う」
【理由はたった2つ!なぜゴッホの「ひまわり」は有名か?】で書いたことの繰り返しになってしまいますが、ゴッホのすごいところは「絵画に感情をのせた先駆者」であったことです。
ゴッホより前の絵画作品というのは、写実的(実際の物体・風景をそっくりそのまま写しとる)であったり、印象的(あえてぼやかしたように描くことにより、被写体のスピード感や一瞬で捉えた風景を描く)であったりが定石でした。
ゴッホが確立させた技法こそが、”絵画に感情を乗せる”ということだったんですね。実際にゴッホは”印象派第二世代””ポスト印象派”と呼ばれています。
皆さんにも、こうした経験はございませんでしょうか。
例えば、ひまわりと同じ夏の風物詩である花火を写真におさめようと、ばっちりのタイミングでシャッターを切ったはずなのに、実物と比較すると物足りなさを感じること。
例えば、綺麗な満月を見て、写真を撮るけれど「実物はもっと大きくて綺麗なのに」と、そのギャップに不満を感じること。
他にも、日常の風景を写真に撮られる方であれば、実際に見ているものと写真との落差にガッカリすることがあるかと思います。
ゴッホはきっと、写実的、つまり実物をそのまま書き写すことの”つまらなさ”を感じていたのではないかと、私は思います。
実際、ゴッホの他の絵画においてもその傾向は顕著です。
引用:星月夜 – Wikipedia
通常、このような月・星明かりはあり得ません。しかしゴッホは、澄み切った夜空と、眩しいほどに輝く星々に感動し、その内面さえも表現しようとした結果、ここまで黄色が主張する夜の風景になったのだと思います。
現実の夜に《星月夜》のような風景はあり得ませんが、しかし一方で、街明かりが一切ない場所で見上げた夜空の星の輝きを見たことがある方なら、《星月夜》ほどの眩しさが確かにあると共感していただけると思います。
引用:フィンセント・ファン・ゴッホ – Wikipedia
ミレーの《種蒔く人》をゴッホの解釈によって描かれた作品。
ミレーは名もなき農民による質素ながらも尊い行いに敬意を表し、厳粛に描き上げました。
(ミレー作《種蒔く人》については【こちら】の記事で詳しく解説しております)
引用:ジャン=フランソワ・ミレー – Wikipedia
一方でゴッホは、農民の行いの崇高さ、ありがたさ、作物が実ることへの歓喜・希望を込めて、神々しいとさえ言えるような表現で《種蒔く人》を描きました。
《星月夜》も《種蒔く人》も、きっと実際の風景を描いただけであれば、ここまで色鮮やかで生き生きとしたものにはなりません。
ひまわりを書いた当時、ゴッホは自身の理想を共有できる同胞が現れたことで、喜びと興奮を感じていました。
そんな感激と、ゴッホが得意とした黄色による表現と、ひまわりという夏に咲くはつらつとした花が相まって、実際のひまわりにはあり得ない、感情をまとった劇的な《ひまわり》が完成したのです。
おわりに〜現実風景と絵画との対比〜
ゴッホの絵画がどれほど”感情をまとっているか”、お伝えすることができましたでしょうか。
今回はひまわりを見に行って、そこで「ゴッホの《ひまわり》と全然似てないじゃん」と改めて気付いたことから、このテーマで記事を書こうと思った次第です。
また過去には、《ひまわり》とは逆に、ふと赤く焼ける夕日を見た際にはターナーが描いた夕焼けの景色と重なったこともありました。
引用:戦艦テメレール号 – Wikipedia
普段生活している中で、自分の印象に残っている絵画作品と実際の風景を比較してみて、重なることや、逆に相違点を探すといった楽しみ方ができるのも、絵画を学んでいると楽しい瞬間ですね!
ちなみに私が今回お邪魔させていただいたのは、静岡県富士市岩本にあるひまわり畑です。
大体30m×50mくらいの面積の畑で、思っていたよりも小さかったですが、植えられているひまわりは山の高所で日当たりも良く、見事でした。
7月下旬のまだ咲き始めの頃に伺い、まだ開花していない範囲もあったので、全面が開花したらもっと綺麗に見えるだろうと思います。
今回は備忘録のような内容になってしまいましたが、一人の方にでも楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは、この辺で。セミの鳴き声が聞こえる、暑っ苦しい部屋から。皆さんの健康と、夏を楽しめることを願って。