こんにちは!皿(sara)です☺️
今回はジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃ー1337)作『ユダの接吻』(1304−1306)という絵画について紹介します!
『ユダの接吻』は700年以上も前にイタリアの礼拝堂に描かれた壁画ですが、今でもジョットの他の絵画と共に残されていますので、行こうと思えば実物を鑑賞しに行くことも可能です。何百年も前のものを作者と同じ位置から眺めることができるというのは感慨深く、それも絵画鑑賞の良さですよね。
さて、今回取り上げる『ユダの接吻』ですが、なぜ投稿しようかと思ったかと言いますと、現在放送中、波瑠さん主演「アイシー」という火曜9時のドラマの第5話(2/18放送)のCMに一瞬映っていたからです(当方ドラマの方は見ておりません。すみません)。
絵画の知識があると、こういう機会に「お、ジョットだ」と気付くことができるので楽しいですね。他にもアルフォンス・ミュシャ(1860ー1939)なんかは知ってからというもの、よくお店のポスターやCMなどにも起用されていることが多いことに気が付くようになりました。以前までは素通りしていたものに反応できるようになることも、絵画を学んでいて楽しい瞬間です。
では、今なお絵画界の傑作であり続ける『ユダの接吻』について一緒に学んでいきましょう!
この絵の何がすごい?
ジョットは「ルネサンスの父」「イタリア絵画の父」と言われています。何をもって”父”と称えられるかですが、ジョットの歴史的で最も偉大な産物は「絵画に感情を描き表した」というものです。
今では考えにくいことではありますが、ジョット以前において絵画には人間の表情や動きの表現はなく、むしろ無表情、静止のみの無機質、記録的な描写ばかりでした↓
引用:荘厳の聖母 (チマブーエ) – Wikipedia
確かに無表情で動きに乏しいですね😐(なお、上の絵の作者チマブーエこそジョットの師匠でした)
しかしジョットはそれら旧来の描き方から逸脱し、絵の登場人物に肉体的な厚みを持たせ、表情を描くことに成功しました。(一方で『ユダの接吻』にはまだ奥行きなどが足りず平面な印象は拭えませんが、それはまだ「遠近法」さえも確立されていない時代だからです。そう考えると、より一層『ユダの接吻』がいかに前衛的かつ革新的であるかが際立ちますね。)
まだ文字の読み書きができない当時の民衆に宗教の教義を広めるためには、絵画による視覚情報は”メディア”として大変重宝されていました。「喜び」や「悲しみ」「驚き」などの感情が、絵を見るだけで伝わるようになったのです。「文字情報よりも絵による説明の方がわかりやすい」というのは、「百聞は一見にしかず」という言葉からしても明らかです。
絵画を見れば、宗教上の物語を知らずともそこに描かれている人たちが「どんな表情をしているか」「どんな気持ちなのか」がわかるようになりました。ジョットによる新たな絵画の表現方法確立により、より民衆に理解しやすく教義が広がるようになった他、そこから先の絵画の歴史をぐぐぐんっ!と前進させたという偉大な貢献があるのです。
どんな場面が描かれている?
主要な登場人物は、画面中央左側の頭に金環が見える人物がキリスト教の神であるイエス・キリストで、そのイエスの右側にいる、キリストの肩に手を置き接吻(キス)しようとしている人物がユダです。ユダはイエスの弟子でしたが、金のためにイエスの処刑に協力した裏切り者です。
ユダの接吻に至るまでの物語を簡単に説明しますと、そもそもキリスト教はイエス・キリストから始めたわけではなく、イエス没後にその信者たちが作ったものです。イエスはユダヤ人でありユダヤ教徒でしたが、その教義(旧約聖書)の解釈方法が旧来のものとは全く違うものでした。ユダヤ教はどちらかと言うと歴史的に踏みにじられてきたユダヤ人たちの「復讐」「反逆」の色が強いものでしたが、イエスは「汝の敵を愛せ」「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」などと全く逆のことを言い出しました。
こんなことを言いふらして広まってしまったために、従来のユダヤ教の教えを守ってきた権力者からしたらイエスの行動は挑発的でありかつ伝統を崩される危険性を持つものに他なりませんでした。よって従来のユダヤ教徒によって、無実でありながらも「ユダヤの王を名乗った」という罪でイエスの処刑が決定してします。
「最後の晩餐」というのはキリスト教において有名な場面の一つですが、その内容こそ、ユダによる裏切りを見破っていたイエスが弟子たちに向けて「この中に裏切り者がいる」と宣言した場面なのです↓
引用:最後の晩餐 (レオナルド) – Wikipedia
(衝撃のカミングアウトにどよめく弟子たち。左から5番目、机に右肘をつくユダの右手には、裏切りの対価である銀貨が握られています。)
そしてユダが接吻する場面へと物語が進行します。『ユダの接吻』では顔を近付けるユダに対し、イエスは黙って見つめ返しています。「お前が裏切り者ということはわかっていた」とでも言いたげな、厳かで静かな雰囲気が見られます。
ユダがイエスに接吻する場面は、新約聖書の中でも「最後の晩餐」と同様に有名な場面の一つです。「驚き」や「怒り」など周囲が騒がしく描かれている一方で、イエスとユダは見つめ合う2人だけの静けさが対比して描かれています。センセーショナルなこの場面の登場人物たちの感情を見事描き切ったことに、ジョットの力量が詰まっているのですね。
こんな人におすすめ
やはり『ユダの接吻』は「ルネサンスを始めた作品」である点が最も偉大であるかと思います。過去の誰もやってこなかったことや挑戦しても成功を見なかったことに対するチャレンジ精神に溢れた作品になります。
また、作成から700年経った現代2025年のドラマでも使用されるなど、その存在感は焦ることなくこれからも絵画史に燦然と輝き続けるでしょう。
また、『ユダの接吻』の場面自体が象徴的なシーンです。どんな理由であれ他人の命と引き換えにお金を欲した裏切り者のユダ。そんなユダの心境なんぞ見据えた上で厳然と佇むイエス・キリストからは、キリスト教徒であるなしに関わらず意志の強さ、理性の強さが見られます。普段の生活の中でも辛いことや苦しいことがたくさんあります。それでも死を前にしたキリストのなお厳格で静かな姿を見ると、「今は確かに辛いけど、死ぬわけじゃない」などと思え、気持ちが楽になるような気がします。
おわりに
以上でジョット・ディ・ボンドーネ作『ユダの接吻』の紹介を終わります!いかがでしたでしょうか。
冒頭でも申し上げましたとおり、CMを見ていたらふと流れてきたジョットを見て今回の投稿を決めました。今まであまり意識してきませんでしたが、これこそが「アンテナを高く張る」ということなのかな、とも思いました。ドラマは全く見ないのですが、こうして流行りのものを追ってみるからこそ見えてくるものがあり、トレンドに合わせて情報発信することができるのだなと感じました。
自分が楽しいので当ブログを運営してはおりますが、せっかくなら一人でも多くの方に好きなことを通して情報を伝え、絵画や美術の面白さを共有できたらそんなに嬉しいこともありません。よって私としても少しでも多くの方の興味を惹ける工夫をしていく必要があります。こうしたドラマで扱われたりだとか、バラエティ、CMなどで絵画が起用されたりする機会というのはきっと少なくはないはずです。
家で本を読むことも良いのでしょうが、ちゃんと時勢を追ってこそ求められているもの、人の心を掴むものを見定めることができるのだと気づくことができました。食わず嫌いで流行ものから逃げず、むしろ積極的に触れていこうと思います!…もうすぐ三十路人間なので、頑張らないとですー。
トレンド追跡という始める前の想像時点でその大変さに戦々恐々としつつ、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!
参考文献:井内舞子『教養として知っておきたい名画BEST100』(2021年 永岡書店)/ 佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)/ 早坂優子『巨匠に教わる絵画の見かた』(1996年 視覚デザイン研究所)/ 富増章成『読破できない難解な本がわかる本ー図解で読みとく世界の名著60』(2019年 ダイヤモンド社)