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一つ目の巨人は何を思っているか?一度見たら忘れない、ルドン作「キュクロプス」の不気味で不思議な魅力

引用:キュクロープス (ルドン) - Wikipedia
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こんにちは!皿(sara)です☺️

今回は、一度見たら忘れ難い異彩な絵画、フランスの画家オディロン・ルドン作「キュクロプス」について紹介します。

上の画像が「キュクロプス」ですが、いかがでしょうか。何より一つ目の巨人に目が行ってしまいますね。あなたはこの巨人の目から、どんな感情が見て取れましたでしょうか。

「キュクロプス」は何を意味する絵画なのか。僭越ながら、私の解釈も交えながら紹介していこうと思います。

目次

「キュクロプス」に描かれている場面

まず、「キュクロプス」にはギリシャ神話のワンシーンが描かれています。

キュクロプスという一つ目の巨人族のひとりに、ポリュフェモスという醜い怪物がいました。
あるとき、ポリュフェモスは、ガラテイアという美しい海の精に恋をしますが、彼女が愛していたのは美青年のアキスであったため、逆上したポリュフェモスはアキスを殺してしまいます。

引用:佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)

怪物であるポリュフェモスは、憎き恋敵であるアキスを、あろうことか殺害してしまいます。絵画に描かれているのはその後の場面。邪魔者がいなくなったポリュフェモスはガラテイアを探します。一方ガラテイアは、山の中腹の草原でしょうか、草木の裏に隠れて身を潜めています。

邪魔者を排除することができれば、自分が恋人になることができると本気で考えたのでしょうか。事実ガラテイアを探しています。幼稚というか身勝手極まりないというか。思慮のなさに怒りを通り越して呆れさえ感じてしまいます。対して、逃げ隠れるガラテイア。ただでさえ醜い巨人に最愛の人を殺されたとなれば、ポリュフェモスを視界に入れることさえ耐え難い苦痛だったでしょう。

ガラテイアが悲しむ姿を前面に描いた絵画であれば、「ガラテイアが可哀想…」「ポリュフェモスはくたばっちまえ!」という思いを見る者に抱かせると思います。実際、ポリュフェモス-ガラテイア-アキスの三角関係は人気の題材であり、ガラテイアがよく主題として選ばれたそうです。

しかしルドンによる描写は、ガラテイアは小さく縮こまっていて顔もよく見えない一方、ポリュフェモスがもはや主役であるかのような存在感を示しています。ここに、絵画「キュクロプス」の面白みがあるのです。

なぜ悲劇のヒロインではなく怪物に焦点を当てたか

「キュクロプス」はギリシャ神話を題材としていますが、ポリュフェモスのような、「相手の気持ちや立場を考えることがどうしてもできない」存在というのはいつの時代どこの国にも、もちろん今の日本においても存在します。もはや、人が存在する限りいなくならないかもしれません。

「犯罪者」などはその典型ではないかと思います。自分の思い、気持ち優先で、周りのことを考えない。もはや、自分が大事にしたい人が恐怖に感じることさえもやってしまう。しかも、それを反省できない、理解できない。「なんで自分はこんなに思っているのに報われないんだ」と、むしろ自分が被害者であるとさえ思ってしまう。

幼稚さ、浅はかさ、愚かさ。それを理解できない救い難さ。ポリュフェモスはアキス殺害後、ガラテイアを探しているわけですから、自分に振り向いてくれるという期待があったのではないかと、思わずにはいられません。

残酷な行為をしてもそれを反省する能力は持たず、あまつさえ思い人に振り向いてもらえるとさえ期待しているポリュフェモスの無邪気な目。そんなポリュフェモスの心情を反映するかのような草木の鮮やかさや空の青色。その怪物の視界に入らぬよう、顔を伏せて逃げ隠れるガラテイア。絵の中の対比から、ポリュフェモスの形容し難い”残念さ”がより際立って見えます。

日々流れてくる悲しい事件や事故の加害者とポリュフェモスとが重なることがあります。ポリュフェモスを主役に置き、怪物と呼ばれるべき存在への「諦観」を表現したことに「キュクロプス」という絵画の魅力があるのだと思います。

他の絵画のポリュフェモス

最後に、他の絵画で描かれているポリュフェモス、ガラテイア、そしてアキスを紹介します。

アレクサンドレ・シャルル・ギルモ作:Les Amours d’Acis et de Galatée

引用:Acis et Galatée – Wikipedia

ガラテイアとアキスの姿はまさに相思相愛、ラブラブカップルといった描写ですね。そして、左奥の山頂にはポリュフェモスの姿があります。このときポリュフェモスは、草笛で音色を奏でているそうです。2人の雰囲気を良くするためではないでしょうから、ガラテイアへの思いを乗せて吹いているのでしょうか。良くも悪くも、恋の勝者と敗者をここまで明確に描写していることに哀愁を感じさせる絵画です。

クロード・ロラン作:Acis et Galatée

引用:Acis et Galatée – Wikipedia

こちらの絵画もまた、中央下にはガラテイアとアキスが向かい合っている姿が描かれています。ポリュフェモスはというと、中央右の崖にその姿が見えます。こちらの絵画にあってもポリュフェモスは、ガラテイアとアキスとの恋物語に立ち入る隙もないと言われんばかりの描き方をされています。

エドゥアール・フランソワ・ジエ作:Acis et Galathée se cachant de Polyphème

引用: Acis et Galatée – Wikipedia

こちらの絵画もガラテイアとアキスが寄り添っていますが、明らかに恐怖した表情をしています。理由はもちろんポリュフェモス。左奥で岩に腰掛けているポリュフェモスに見つかればアキスが殺されることがわかっていたのでしょう。死角となる位置で震える2人が描かれています。題名の日本語訳も、「ポリュフェモスから隠れるアキスとガラテイア」です。

ルドンとの違い

以上3つの絵画を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。他にも「ポリュフェモス-ガラテイア-アキス」の3人が描かれた絵画もありましたが、やはりガラテイアとアキスに焦点が当てられ、その奥にポリュフェモスが見えるという構図でした。ルドンがポリュフェモスを主役に置いたことは、それだけ斬新な切り口だったようです。

ルドンによる「キュクロプス」には色鮮やかなパステルや油彩が用いられています。ルドンは50歳頃までは主に黒一色で作品を作成していたそうで、「キュクロプス」を描いたのは74歳と晩年の頃でした。ポリュフェモスとガラテイアを鮮やかな色彩で描き出したことも、他の画家との差異と言えるでしょう。象徴主義を代表する画家であるルドンの巧みな色使いによって、ギリシャ神話の世界観がより一層幻想的なものとして表現されています。

また、ルドンはポリュフェモスを山よりも巨大に描いていましたが、絵画によってはせいぜい数メートルの木の高さ程度だったりとその大きさも異なるので、そこにも画家の違いが出るようです。

おわりに

以上で、オディロン・ルドン作「キュクロプス」の紹介を終わります。いかがでしたでしょうか。

ルドンによる怪物を主役とする斬新な描写は、きっと当時の世間も驚かせたことでしょう。衝撃で斬新だったからこそ、こうして絵画初心者の私が手にする書籍に「覚えるべき絵画」として掲載されているのだと思います。

また、本文をとおして、私が「キュクロプス」から感じた怪物(と呼ばれる存在)の愚かさ、救い難さといった点に共感していただけたのなら幸いです☺️

ルドンは他にもたくさんのグロテスクな生き物を描いたそうですが、中でも「キュクロプス」のように「目」を主役とすることが多かったそうです。これからもオディロン・ルドンという画家、そして彼が残した作品について学んでいきたいと思います。

それでは、この辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました!

参考文献:井内舞子『教養として知っておきたい名画BEST100』(2021年 永岡書店)/ 佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)

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