こんにちは!皿(sara)です☺️
今回は印象派を代表する女性画家、ベルト・モリゾ(1796〜1875、フランス)を紹介します!
恋愛のテクニックなんかでよく聞くことですが、「男性は解決を、女性は共感を重視する」というのは個人的に賛成している意見です。むかーーーし、すんごーーーーく珍しく女性と出かけた時に相談事をされたので必死になって解決策・改善策を考えて伝えていたらとってもつまらなそうな目をされたことを鮮明に覚えています。「女性の相談に対しては解決策を伝えようとしてはならない」ということは実体験で証明済みなのです。涙。
さて、何が言いたいかと申しますと「女性の方が男性に比べ、他人の気持ちや感情を推し量る能力が長けている(場合が多い)」「女性にしか描き出せない表現がきっとある」ということです。
ベルト・モリゾによる絵画は柔らかで親しみやすい描写はもちろん、感情表現の絶妙さやまるでドラマを見ているような日常風景のカットがとても素敵で、自分なりに想像しながら鑑賞するのが特に楽しい画家です。
印象派という主観的な感覚を全面に出す画法も、モリゾの絵画との親和性が抜群です。そんな魅力ある彼女、ベルト・モリゾについて一緒に学んでいきましょう!
偉大な師たち
印象主義グループに初めて入った女流画家。始めコローの弟子になり、次にマネの弟子となり、大きく作風に影響された。マネのモデルとしても有名。マネの弟と結婚する。最後にはルノワールに教わるという何ともうらやましいような女性だ。
引用:早坂優子『巨匠に教わる絵画の見かた』(1996年 視覚デザイン研究所)
アイキャッチ画像(トップ画像)の女性はモリゾですが、この肖像画を描いた人物はなんと!あの「印象派の父」であるエドゥアール・マネなのです!さらにモリゾはマネの弟と結婚し、画家活動を支えてもらったそうです。誰もが羨む画家人生ですね。
モリゾがはじめに教わった「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー」という画家は、風景を叙情的に描くこと、そして人物の憂愁さを描くことにおいて秀でていました。
引用:もの思い|ジャン=バティスト・カミーユ・コロー|収蔵品詳細|作品を知る|東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM)
引用:ジャン=バティスト・カミーユ・コロー – Wikipedia
まだまだ勉強中の身ではありますが、コローほどにメランコリー(憂鬱さ)と美しさを両立させている画家を知りません。人間の知能や良心があるが故の苦心、その矛盾、葛藤、諦観。しかしそんな痛みを感じられることにこそ人としての美しさがある。コローの絵画を見ていると、そんなことを考えてしまいます。モリゾはまず、そんなコローに絵画を教わりました。
続いて先述したマネ。新時代を担う印象派の黎明期を、その祖でもある人物に教わりながら過ごしました。
そして最後には、ルノワール。
引用:ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 – Wikipedia
上の絵画のように、ルノワールは見ているだけで人々の賑やかさや温かさが伝わってくるような「見ていて幸福を感じる絵画」を好んで作成した画家です。コローによる哀愁さの描写とは真逆と言えるかもしれません。
以上のように、偉大なお歴々から絵画を教わったモリゾ。やはり注目すべきはコローとルノワールという相反する描写を選択する2名の画家から教わったこと。「喜びと悲しみ」「幸福と不幸」という、まさに簡単には言い表せない人の複雑な心情の表現方法を、前衛的な”印象”的方法で表現してみせました。
作品
ゆりかご(1872)
引用:ゆりかご – Wikipedia
個人的に、全ての絵画の中でも屈指の好きな作品です。左の女性は、モリゾの実の姉のエドマ。そしてその目線の先にいるのはその姉の赤ちゃんです。一見、微笑ましい幸福な絵画に見えます。
しかし本作の背景を知ると、手放しでは喜ぶことが憚られる状況であることがわかります。
エドマは実は、モリゾと同じく、絵画の勉強をしていました。しかし結婚を機に続けることが困難になり、筆を置くことを選びました。本作は女性の社会進出の困難さ、そして夢を追い続けることができた妹とそうでない姉との対比を描写した絵画でもあるのです。
私はまだ独身ですし、結婚の予定もありませんのでただの想像でしか語ることができませんが、人によっては子どもが呪いのように見えてしまう人もいるのではないかと思います。
妊娠・出産は(特に女性は)人生を一変させる出来事に違いありません。もしかしたら、(何を持って十分・不十分とするかはとても困難な議題なのであえて触れませんが)十分な準備もないままに子を授かる人もいるのだと思います。子どもがいなければ、時間お金などのいろいろがもっと自由だったろうに、その全てが犠牲にされてしまう。とても口には出せないが、心のどこかではそんな感情を捨てきれないという人は、少なくないのではないかと思います。
子どもを見つめる目に浮かぶ感情は何かと、考えずにはいられません。「喜びと悲しみ」「幸福と不幸」が混在しているのではないか?と考えてしまいます。そして、鑑賞者側すなわち妹に対する目線はどんなか。嫉妬、応援、拒否感、、、こちらも様々抱えているのだと思います。
他の投稿でも申し上げていますが、絵画はただ情報として覚えるのではなく、絵画から自分は何を感じ、そして人生においてどう行動するかの方がずっと大事だと考えています。
『ゆりかご』は、そんな思案に耽ざるを得ないような、まるで濃密な長編小説を1冊読み終えた余韻に浸れるような、啓示に溢れた絵画だと思います。
ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘(1881)
引用:ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘 – Wikipedia
こちらも『ゆりかご』同様、親子が描かれています。子どもも大きく、5歳くらいでしょうか。屋外のベンチに座る父親の膝の上に乗せたおもちゃで遊んでいます。父親は子どもの言うことを聞くように、おもちゃが動かないよう耐えているように見えます。
お互いに顔を見ているわけではありませんが、それが返ってお互いの存在に疑問を挟む余地もない、安心と信頼の表れのように感じられます。
親子の仲睦まじい瞬間、”印象”をとらえた本作を楽しめることももちろんですが、『ゆりかご』との違いを考えるという楽しみ方もまた一興のように思います。
植木に水をやる女性(1876)
引用:Young Woman Watering a Shrub (Translation) – (83.40) – Collections
当時の女性にとって毎朝の日課だった植物への水やりの風景を切り取った絵画です。鑑賞者が自らの姿と重ねられるよう、あえて背後の姿を描いています。
『ゆりかご』と同様、女性の煮え切らない感情もあるのか。はたまたそれは鑑賞者のエゴにすぎず、単純な朝のワンシーンを描いているだけなのか。顔が見えない分、想像も膨らみますね。あなたは女性の背中に何を感じましたか?
おわりに〜こんな人におすすめ!〜
以上でベルト・モリゾの紹介を終わります。いかがでしたでしょうか。
姉妹で一緒に頑張ってきたにも関わらず、女性ということで違う道を歩むことになってしまった2人。どちらが幸せなのかという答えは一生出るものではありませんが、ついつい考えてしまいます。
過去別の投稿になりますが、女性の幸福についてグスタフ・クリムト『接吻』を取り上げたので(金色に包まれる男女の姿にあなたは何を感じる?世界的名画、クリムト「接吻」を楽しむ!)、よろしければそちらもご覧ください。
コロー、マネ、ルノワールというそうそうたる面々のエッセンスを受け継いだ絵画の美しさそれ自体を楽しむも良し、作品の背景について自分なりに考えてみるも良し。ベルト・モリゾは、様々な楽しみ方ができるとても魅力的な画家でした!
いずれは『ゆりかご』だけを取り上げた投稿もしたいと思いますので、これからも引き続き絵画の勉強をしていきたいと思います!
それでは、この辺で。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!