こんにちは!皿(sara)です☺️
今回は、美術史全体を見ても、後にも先にもここまで「変人」の称号を欲しいままにする画家はいないでしょう、サルバドール・ダリという人物について紹介します。
上の写真からも分かるとおり、なんと言っても特徴的なヒゲ(水あめで固めているそうです)をしていますね。その「変人」具合はキャンバス上に留まらず、私生活でも突飛なエピソードがいくつも存在します。
後ほど紹介しますが、誰でも見たことがある”あの”お菓子のロゴを描いたのもダリなんですよ!
美術史における新たな画法を確立し、大いに貢献した功績はもちろん、その語り継がれる人間性は今なお我々を楽しませます。そんな、サルバドール・ダリの愛される魅力をわかりやすく紹介します。
美術史におけるダリの立ち位置
サルバドール・ダリ(1904−1989)。スペイン出身で、近代絵画における「シュールレアリスム」と呼ばれ画法を代表する画家です。「シュールレアリスム」とは「超現実主義(現実ではあり得ない姿形や景色を表現すること)」を意味し、1920年代はじめにフランスで始まったとされています。「シュールレアリスム」という言葉は絵画のみならず、他の美術作品や文学、思想にも用いられます。
ダリは、当時フロイトという神経学者の影響を強く受けていたと言われています。
ジグムント・フロイト(1856〜1939年)ウィーンの神経学者。精神分析の創始者。1873年、ウィーン大学医学部に入学。卒業後、ヒステリー研究を行い、無意識の世界を発見し精神分析療法を確立した。1938年、ナチスのウィーン占領でロンドンに亡命。翌年同地で死去。
引用:富増章成著『読破できない難解な本がわかる本ー図解で読みとく世界の名著60』(ダイヤモンド社,2019)
普段我々が意識している・できていることは、ちょうど浮いている氷山のほんの一角であり、その下には意識していない・できない考え方や思いなどが存在していて、その見えない部分のことをフロイトは「無意識」と呼びました。
例えばこのような経験はありませんでしょうか。誰かと会話している時、あなたが実際に言おうとしていた言葉とは全く逆であったり、違ったりする意味の言葉が不意に出てしまったこと。これは単なる言い間違いではなく、無意識下で思っていたことや感じていたことと、頭で考えていたこととの間にギャップが生じたせいで起きた現象と言えるのです。小学生が先生のことを「お母さん」と呼んでしまうのも、もしかしたら「無意識」によることなのかもしれません。
「無意識」は言葉だけに表れるものではありません。ある時とった行動や選択も、意識していることだけではなく、その下に存在する「無意識」による影響によって(時には「無意識」の方が優位に働いて)の結果であることもあります。しかし「無意識」なのですから、理論的な言葉での説明は困難なものです。
「夢」という現象はその最たるものです。眠っている時に無意識の中にある考え方や思い、記憶などが表層に現れてごちゃ混ぜになったせいで、起きた時には「意味不明な夢だった」と思ってしまうのです。
フロイトが提唱した無意識という説明困難な「思考活動」と、シュールレアリスムという超現実の「表現方法」との親和性は極上と言えるでしょう。そして、ダリという変人による奇抜な画法が組み合わさり、当時のシュールレアリスムにおける絵画の方面において、彼は他の追随を許さない画家の地位に立つことになったのです。
オモシロ人間(?)
自分が考えた演出で死にかける
フランスパンを頭上に乗せて「新しい髪型だ」と主張したり、大量のカリフラワーを車に積む姿があったりと、ミステリアス、というかもはやファニーなエピソードが数多く存在するダリ。その中でも、自らの演出のせいで死にかけた話は有名ですので、覚えておいて損はないと思います。
シュールレアリスムの講演会において登壇することとなったダリ。そんな彼が普通のスピーチで終わろうはずもなく、観衆の前に現れた姿はなんと「潜水服」。手にはビリヤードで使用する棒の「キュー」を持ち、2匹の犬も連れ歩いての登壇でした。潜水服は「心の中に深く潜る」ことを意味しているそうですが、他の要素は意味不明です。まさにシュールレアリスム。何が見えているかはわかるが、それが何を意味しているか分からない。そんな「脈絡のなさ」こそ、彼が表現したかったことなのかもしれません。
観衆の前で話し始めるダリですが、潜水服に覆われているため声は全く聞こえなかったそうです。失敗はそれだけでは終わらず、急に壇上でジタバタと一人暴れ始めるダリ。客はこれも演出と思い笑いが起こったそうですが、ダリ自身は密閉された潜水服のせいで呼吸ができなくなって暴れていたのです。
数分後、ようやく異変に気づいた人によって救出されましたが、もしかしたら、自分の演出のせいで死ぬところだったかもしれませんでした。
ただまあ、今もこうして語り継がれる笑い話となっていることからして、ダリ本人としてはまんざらでもないんじゃないかなと、私個人は思っております🤭
自他共に「変人」認定間違いなしのダリですが、実の妹からは「子どもの頃は模範的だった。変人・天才は演技だ。」とカミングアウトされてしまいます。イメージを壊されたダリは激怒し、その妹には自らの葬式に出ることさえも禁じたほどだったそうです。
ダリの本当の素顔
ダリの語った言葉の中に、「天才になるには、天才のふりをすればいい」というものがあります。奇抜な格好、演出も自然体ではなく実は考えに考えてやっていて、妹さんが言うように普通に模範的な性格だったのかもしれません。しかし、彼は”天才”になることを望みました。そして、”天才”にはよくあるような奇抜なエピソードを自作自演しました。それは、世間を欺く行為だったかもしれませんが、真は、自分自身を欺く行為だったかもしれません。
「自分は〇〇な人間なりたい」と思うのは、「自分は〇〇な人間ではない」と認めていることと同義です。「自分を欺く」という行為はよく”悪”として扱われますが、結局は使い方次第です。ダリのように振り切って「私は〇〇だ!」と自分を欺くことに徹することができれば、本当にダリのように、自他共に認めるあなたがなりたい何かになれるかもしれません。ダリの生き様を見ると、そんなことを思わせてくれます。
1982年に妻が亡くなると、その次の年には筆を置いてしまいます。何を思って描くことをやめたのか。奥さんの死がきっかけと言ってしまえばそれまでですが、その胸中はダリ本人にしかわかりません。もしかしたら、ダリ本人にもわかるものではないのかもしれません。静かな老後への憧れ、絵を描くことへの疲れ、はたまた他の何か…。そうした色々が重なった結果、「筆を置く」に行き着いたのでしょう。
一つの結果に至った原因は一つではありません。また、わかりやすい原因だけでもありません。意識の下に存在する無意識さえも影響して、一つのものが表層に現れます。同様に、ダリが描いた絵の中には、とりとめもない、意味不明・説明不明な要素が存在するかもしれません。しかしその要素は間違いなくその絵を構成するものであり、理解可能・説明可能な要素と共存して成立しています。
意味が分かるものだけではない。一生かけても分からないかもしれない。そんな到達不可能な概念を絵画で表現し切ってみせた画力に、サルバドール・ダリという画家の凄みがあるのです。
あなたの身近にあるサルバドール・ダリ
いやあ、つい気分が乗ってしまって、上の2つの項目を作り上げるのに結構時間と労力を使ってしまいました😅
最後は簡潔にいきます(笑)
あなたも知っているであろう、日本でも有名なあのお菓子のロゴを手掛けたのがダリなのです。それがこちら↓
引用:https://www.chupachups.jp
デイジーの模様がかわいいですよね🌼。きっとこの先も何年も、世界中で親しまれ続けるロゴでしょう。
「有名なロゴやマークなどを手掛けたのは実は有名なあの芸術家だった」ということはまだありそうですね。買い物や看板などで気になるものがあれば、「これは誰が描いたんだろう」と調べてみると、面白い発見があるかもしれません。私も気になったものがあれば調べてみようと思います。
おわりに
以上で、美術史上一番の変人、サルバドール・ダリの紹介を終わります。いかがでしたでしょうか。
ダリという画家に焦点を当てることを主としましたので、気付けば作品については全く触れませんでした(笑)。しかし逆に言えば、それほどまでにダリという画家本人の魅力は強く、語りたくなってしまうものなのだと改めて気付かされました。
いずれは作品についても紹介していきたいと思っておりますので、その時はよろしくお願いします。
それでは、この辺で。ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
参考文献:井内舞子『教養として知っておきたい名画BEST100』(2021年 永岡書店)/ 佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)/ 大野正人『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(2018年 文響社)