近代絵画を語るうえで避けて通れない存在、それがエドゥアール・マネ(1832〜1883年、フランス)の《草上の昼食(Le Déjeuner sur l’herbe)》(1863年)です。
緑豊かな自然の中、ピクニックを楽しむ男女たちの姿。しかしこの作品、19世紀当時の社会にとっては“スキャンダル”そのものでした。
今回は、この《草上の昼食》が美術史においてどのような意味を持つのか、他の画家や作品との比較、そして本作の持つ深い魅力を詳しく解説します。アートに興味のある方、インテリアへの採用を考えている方等々、必見です!
《草上の昼食》が巻き起こした芸術革命
1863年、サロンに落選した作品を展示する「落選者展(サロン・デ・ルフュゼ)」に突如現れたこの絵は、たちまち世間の注目を集めました。なぜなら、前景に描かれている裸の女性が、神話や宗教と無関係な“現実の女性”だったからです。
当時のアカデミズムでは、裸体は宗教的または神話的な背景の中でしか認められていませんでした。
実際、本作より半世紀以上前に描かれた《裸のマハ》(1797〜1800年)という、現実の女性の裸婦画を描いたゴヤという画家はその”異常さ”から、従来の信仰に反する(疑いがある)として、異端審問にかけられてしまう事態にまでなっています。
引用:裸のマハ – Wikipedia
しかし《裸のマハ》はあくまで彼のパトロンから製作を直々に依頼されたものであり、公に発表されるものではありませんでした。
一方、マネのすごいところが、公の展示会において堂々と、当時タブー視されていた”現実の女性の裸体”の絵画を発表し、世間に衝撃を与えた点です(ちなみに、正面及び奥に描かれている女性は娼婦とされています)。さらに、背景の空間処理の曖昧さや陰影の省略など、技法的にも革新に満ちていました。
こうした意味において《草上の昼食》は、後の印象派をはじめとする現代美術の土台を築く、大きな一歩となったのです。
他の画家・作品との比較で見える「マネらしさ」
《草上の昼食》は、歴史的絵画や古典的な構図を意識した上で、そこからの逸脱を試みています。その代表的な例が、ルネサンス期の巨匠ティツィアーノの《田園の奏楽》です。
引用:田園の奏楽 – Wikipedia
この絵でも、服を着た男性と裸の女性が自然の中で共に描かれていますが、神話的な意味合いが強く、美しく調和した構図です。対してマネの《草上の昼食》は、現代の服を着た男性が無表情に座っており、裸婦との関係性も不明瞭です。画面全体に漂う“違和感”が、逆に現実味を帯びています。
また、クロード・モネによる同名作品《草上の昼食》(1865-66)は、印象派らしい明るい光と色彩で、まさにピクニックの楽しさを描いた作品です。
引用:草上の昼食 (モネの絵画) – Wikipedia
マネのものと比較すると、マネの作品がいかに象徴的で、直接的であるかが浮き彫りになります。
《草上の昼食》3つの魅力
1. 時代を挑発した構図
裸体女性が堂々と中央に配され、しかも視線をこちらに向けている。その姿勢は単なるモデルに留まらず、“見る者に問いかける”存在です。観客は思わず、「彼女は我々に何を思って見ているのか」と考えさせられます。
2. 古典と現代の融合
マネは単にルールを壊したのではありません。古典的な構図や技法を理解し、その上で崩したのです。背景に描かれた水浴びする女性の遠近法の崩れも意図的な“ずらし”であり、視覚的に違和感を与えつつ、新たな絵画空間を生み出しました。
3. 後の芸術家への影響力
この作品に刺激を受けたのが、印象派の画家たちです。モネ、セザンヌなど、多くの画家がマネの革新性に共鳴し、自然光や日常生活の描写を追求していきました。ピカソでさえも、《草上の昼食》を独自に再構築したバージョンを描いています。
絵画鑑賞をもっと楽しむために
《草上の昼食》を理解することで、単に“気をてらった”だけの作品ではなく、マネが社会や美術の枠組みに対してどれだけ真剣に挑戦していたかが見えてきます。
もしこれから他の絵画について学んだり、美術館に足を運んだりする予定がある方は、ぜひ今回取り上げた《草上の昼食》を改めて眺めたように、「構図」「視線」「時代背景」にも注目して絵を眺めてみてください。きっと見え方が変わり、さらに深く絵画を楽しめるはずです。
まとめ:絵画の「見方」を変えたマネの傑作
マネの《草上の昼食》は、ただのスキャンダラスな絵ではありません。それは、芸術のルールを再構築し、近代絵画の礎を築いた一枚なのです。歴史的文脈と他作品との比較を通して鑑賞すれば、その魅力は何倍にも膨らみます。
アート初心者の方も、マネの目を通して世界を眺めてみてはいかがでしょうか?
服を着た男性と裸の女性が同じ空間でくつろいでいる。その光景は異質ですが、しかし、現代においても似通った環境というのは世界中どこにでもあります。
男性が思うこと、女性が思うこと。子供が思うこと、大人が思うこと。立場の違いによって様々な解釈がされそうな点も、《草上の昼食》の魅力の一つかもしれませんね。
結局これまでの人生、ピュアな水着美女と海辺で遊ぶという夢を叶えられず、きっとこのまま叶うことはないだろうと諦観を感じつつ。しかし《草上の昼食》のようなシチュエーションは大人のお金の力でなら叶いそうだなというむしろ悲しみに似た気持ちを感じながら。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!