こんにちは!皿(sara)です☺️
今回はフランソワ・ブーシェ(1703−1770、フランス)作『水浴のディアナ』(1742)を紹介します!
初見の印象はいかがでしたでしょうか。私も初めて見たのは、私の愛読書でもあります井内舞子さん著『教養として知っておきたい名画BEST100』という本の中で紹介されていた1枚だったのですが、その時の衝撃たるや、びっくりしたのを今でも覚えています。
私の感想を赤裸々に言ってしまえば、「え、えっろ!!?」です。こんな色白で若々しく健康的な二人の少女の裸体が、こんなにも艶やかかつ柔らかに描かれていることにびっくり。情報化社会が進んだ現代では女性の裸体なんていくらでも高画質で見られるわけですが、まさか300年近く前に描かれた絵画にこんなに心惑わされることになるとは。いやはや、エロスは時空を超えますね。
『水浴のディアナ』が描かれた当時流行っていた画法は「ロココ」と言われるのですが、今風に言えば「エロかわいい」のが特徴。その中でも傑作の1つと呼ばれる『水浴のディアナ』の魅力を一緒に学んでいきましょう!
あの巨匠に愛された
『水浴のディアナ』を見て衝撃を受けた有名な画家とは、「ピエール=オーギュスト・ルノワール」(1841−1919、フランス)という、絵画界の印象派の巨匠の1人です。有名どころは以下↓
引用:ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 – Wikipedia
引用:ピアノに寄る少女たち – Wikipedia
ルノワールの絵画を見ればわかるかと思いますが、彼が絵画を描く上でのモットーは「人々に喜んでもらえる絵」ということ。そして「もし婦人の乳房と尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない」とも言っていたそうです。自らの情欲に従いつつも、自らの絵を見た相手を喜ばせ、そして社会を豊かにするというまさに「三方良し」を体現した画家です。
少し話がズレますが、2022年のビジネス書籍で最も売れ、2024年11月には改訂版も出版された『本当の自由を手に入れるお金の大学』の著者、両学長のYoutube で見て感銘を受けた話があります。敏腕経営者などが起業する最初の動機は「社会を良くしたい」だとか「人の役に立ちたい」のような美辞麗句ではなく、「女にモテたい」とか「いい家に住みたい」「外車を乗り回したい」など、そんな動機だったようです。それでも、そんな自分の欲望に素直に従い、それを叶えるために努力して結果社会に貢献できているのなら、綺麗事を言うだけで何も生み出さない凡人と比べたら雲泥の差があります。
ルノワールの絵画のスタンスは、これに似ている気がします。「女性の乳と尻が好きだ!」と声高に宣言しているだけではただのスケベですが、その愛をもってして自らの絵画に女性の可愛らしさや愛くるしさを描写することに成功しています。そして彼の絵画から生き生きと伝わってくる人々の活気や喜びは、時を経た現代でも元気を与え続けています。
そんなルノワールをして「一目惚れをし、そして生涯に渡って執着し続けた」と言わしめた『水浴のディアナ』には、そのような逸話も存在しているのです。
ディアナとは
ディアナとはギリシャ・ローマ神話における処女神で、ギリシャ名は「アルテミス」、英名は「ダイアナ」と呼ばれます。
狩をつかさどる処女神。ゼウスの子で、アポロンの双子の妹でもある。弓と矢筒、三日月の飾りが目印で、犬を連れている。
引用:佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)
(そういえばファイナルファンタジー8という作品のヒロイン、リノアは武器は左腕に装着したブーメランのような飛び道具だったし犬を連れていたな、と不意に思い出しました。今思えばディアナを模したキャラクターだったのか。そういう知識があった上でプレイしていたらもっと楽しかったんだろうな…)
『水浴のディアナ』の画面右下には狩りの収穫であろう鳥やうさぎ、左下には弓と矢筒、その少し上には犬が2匹描かれています。ヴィーナスの裸体にもキューピッドがいるからこそ「神話」であることが示されるように、これらの属性が書き込まれることで『水浴のディアナ』の女性2名も「神話」の人物であることがわかります。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1618−1682)という画家の『無原罪の御宿り(おんやどり)』という絵画では、聖母マリアの足元に三日月が描かれていますが、それはディアナの処女神という特性を捉えてマリアが純潔であることを示しています↓
引用:無原罪の御宿り – Wikipedia
聖母マリアはキリスト教におけるイエス・キリストの母親でありますが、その純潔さの描写のためにギリシャ・ローマ神話の神の属性を拝借(?)することもあるんだな、と学びました。この宗教と神話のマッチングにはきっと歴史もあるでしょうから、この辺も勉強して学んでいきたいと思います。
『水浴のディアナ』の腰掛けている方がディアナで、その足元に座り込んでいるのはニンフ(森や泉の美しい女性の精霊)と思われます。ディアナはニンフを従えており、彼女らにも処女であることを厳しく守らせたそうです。よって、ここに描かれている2人の女性はいずれも処女。処女が善い、そうでなければ悪いと言いたいわけではありませんが、純潔さがあるのはわかります。現代でもアイドルに恋愛禁止の風潮があるのも、純潔だからこそ尊いのであって、そのイメージを崩されたくないから彼氏(彼女)はいないで欲しい、という気持ちは古今東西変わらないのですね。
処女を求められるニンフの心の内は推して知るしかありませんが、ディアナの横で半身で座ってリラックスしている様子、水浴という行為の気持ち良さを考えると、仲睦まじい穏やかなシーンではないかと思います。
処女の美しい女神と精霊が、一糸纏わずその健康的な姿を表し、楽しいひとときを過ごしている。それだけでも尊い場面であり、加えてブーシェによる華やかで柔らかい描写によって『水浴のディアナ』は唯一無二の高潔な作品へと昇華されているのです。
他絵画との比較
比較と言えるほど他絵画を引用してはいませんが、1つの参考程度にご覧ください。
他のブーシェ作品との比較
引用:ポンパドゥール夫人 – Wikipedia
緑のドレスがとても綺麗な色合いですね。『水浴のディアナ』でもディアナの背後には柔らかい青色の布、ディアナの下には女性らしい色合いのストライプが通った衣服(?)が敷かれています。”女性らしさ”表現のための色使いや材質の質感にも抜かりありません。
夫人の手には本が握られていますが、これは夫人が芸術や学問に関心があることを示しています。この頃はまだ女性で字が読める人は少なかったので、夫人の教養の高さも併せて表現されています。
『ポンパドゥール夫人』も『水浴のディアナ』も、手指の柔らかさや姿勢から、ただ女性とわかるだけでなくその質感、柔らかさ、温かさまで伝わってくるようです。そして、女性を引き立たせるための衣服や道具の描写力も逸品。ルノワールが心酔するのにも納得です。
他のロココ作品との比較
引用:ぶらんこ(フラゴナール) – Wikipedia
ある書籍で「ロココはヴァトーに始まり、ブーシェそしてフラゴナールへと継承された」と言われるほど、ロココにおけるジャン=オノレ・フラゴナール(1732−1806、フランス)という画家の存在は大きいです。フラゴナールはブーシェから絵を学びました。
『ぶらんこ』も女性の華やかさが際立っている絵画で、ぶらんこに乗る女性のピンクのドレスが、森の画面の中心でその優美さ、軽妙さの表現がされています。画面左下には女性を仰ぎ見る男性の姿が。この位置だと、スカートの中まで見えてしまいそうです。
女性も女性で靴を放り投げるなど、まるで自分を見上げる男性を弄ぶかの様子。そしてまんざらでもなさそうな男。まさに女性が主役、「エロかわいい」が全面に出ている絵画です。いずれは『ぶらんこ』を主題に取り上げた投稿をしたいと思います。
おわりに〜こんな人におすすめ〜
以上でフランソワ・ブーシェ作『水浴のディアナ』の紹介を終わります。いかがでしたでしょうか。
私も、実家で祖父が裸婦画を1枚だけ飾っていたことを覚えています。当時小学校低学年だったかと思いますが、そんな祖父に向かって「なんで裸の女の人の絵飾ってるの?えっちだー」とか、そんなことを言ってしまった覚えがあります(ごめんよおじいちゃん)。渋い絵ですらそうだったのですから、もし私が『水浴のディアナ』を好んで壁に掛けているのを自分の子どもが見たらどんな風に思うのでしょう。
描かれているのが女神だとはわかろうはずもなく、柔らかなタッチで描かれた年端の女の子の水浴びを好んでいると思われたら、「えっちだー」よりもむしろ白い目で何も言われずに引かれてしまう気がします。そんな時は「これは女神様なんだよ」「ありがたい絵なんだよ」と言ってなんとか説得を試みます。むしろ、理想的な身体美に触れることで性教育の一環にもなったりして。
結婚さえ叶うかもわからない現状でそこまで具体的に想像している自分自身にさえちょっと引く気持ちを感じつつ、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!
参考文献:井内舞子『教養として知っておきたい名画BEST100』(2021年 永岡書店)/ 池上英洋『西洋美術入門 絵画の見かた』(2018年 新星出版社)/ 佐藤晃子『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞辞典』(2020年 永岡書店)/ 早坂優子『巨匠に教わる絵画の見かた』(1996年 視覚デザイン研究所)/ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画史入門』(2011年 幻冬舎)/ 『小学館の図鑑 NEOアート 図解はじめての絵画』(2023年 小学館)